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蠱毒大佐の百怪蒐録・報告その1

  • 2013/03/26(火) 23:18:22

しばらく放置してしまってた企画「蠱毒大佐の百怪蒐録」の報告記録です。

報告していただいた方、放置していて大変申し訳ありませんでした。
報告順に記載していきます。


なお、報告していただいた方のお名前も併記しております(メールアドレスは削っています)。
ご都合が悪ければ、連絡してください。










【 お名前 】:石丸まく人
【 添付ファイル 】:
IMG_4520.jpg
【 呼称(カナ) 】:オクポ
【 地域 】:埼玉県日高町(現日高市)
【 著者・執筆者 】:日高町教育委員会
【 資料名 】:日高町史 民俗編
【 概要 】:
オクポの一 オクポは暗い大木に寝泊まりしていて暮れかたになるとなく。オクポがなくとあしたも天気が良いといわれた(田木・大正七年生)。
オクポの二 子供がよく泣くとオクポがくるといわれた。日暮れのオクポのなきごえは非常にこわかった(猿田・大正九年生)。
オクポの三 オクポが聖天院でなくと人が死ぬという。また向山でなくと晴れになりいいことがあるという(高岡・大正二年生)。


【 お名前 】:石丸まく人
【 呼称(カナ) 】:チトリ
【 地域 】:埼玉県日高町(現日高市)
【 著者・執筆者 】:日高町教育委員会
【 資料名 】:日高町史 民俗編
【 概要 】:
チトリの一 刃物を持って子供を傷つけて血をとって歩くチトリという者がいたという(女影・大正六年生)。
チトリの二 よく麦畑のなかに隠れていて、子供がおとなしくしていないと血をとりにくるといっていた(北平沢・大正十三年生)。


【 お名前 】:ひょーせん
【 呼称(カナ) 】:ナカニシ
【 呼称(漢字) 】:(本文中に漢字表記特になし)
【 地域 】:沖縄県
【 著者・執筆者 】:伊芸弘子(1936-)サイパンうまれ・沖縄民話の会設立メンバー
【 資料名 】:『沖縄・首里の昔話』
【 概要 】:
「幽霊の恩義」という標題。
◆モーイさんが那覇で遊んできた帰り道、夜の墓場で誰かがろうそくをつけて何かをしていた。
◆ヘーイヘーイと墓に近づき、何をしてるのか見てみると女の人が洗骨をしており、きくと銭がないので夜中に亡夫の骨を洗骨してるのだという。
◆モーイはお手伝いをし、持っていた30貫文の銭も女にあげて家路にかえる。
◆その後、モーイが夜道をあるくと誰もいないのに提灯のあかりだけが行く前を照らしてくれるようになる。「誰なの」と話しかけると、「この前、墓で手伝ってもらったものです、恩返しです」「そんなことしなくていいよ」「いえ、そんなわけには」「じゃ、何か必要があったら呼ぶよ、そしたら来てよ」「わかりました」
◆女は、用事があるときは「なかにしへーい」と三言葉呼んでください、と告げる。
◆あるとき山原の城(ぐすく)からどうしても明日までの急ぎの御用ができてしまい、皆、そんなに早くは無理だと大困り。
◆モーイが名乗り出て、その役を果たしてみることに。さっそく「なかにしへーい」と三言葉よんでみると、牛の姿で例のひとが出て来て、「さぁ、おのりなさい」モーイはそれにまたがって夜駆けをして山原の城へ行って見事に用事をこなして褒められた。


【 お名前 】:morita11
【 呼称(カナ) 】:テンサツ
【 呼称(漢字) 】:天刹
【 地域 】:石川県金沢市橋場町浅野川神社
【 著者・執筆者 】:小倉學
【 資料名 】:金沢市史編さん委員会 編『金沢市史 資料編14 民俗』金沢市、2001年3月、p.378
【 概要 】:
越中立山で千年の行を積んだという白狐。金沢城下に現れて吉凶禍福等の予知をはじめ不可思議な行動で人々を驚かしたが、人間世界から離れる時が到来して姿を消した。『三州奇談』に類似の伝説がある。


【 お名前 】:ひょーせん
【 呼称(カナ) 】:サカイノオタネサン
【 呼称(漢字) 】:境のおたねさん
【 地域 】:鳥取県境港
【 著者・執筆者 】:佐藤徳堯
【 資料名 】:『山陰の民話』第1集(山陰日日新聞社)
【 概要 】:
◆化け狐。現在の境港駅のあるところに広がってた松林の大きな老松に住んでいた。善い人はだまさず、悪い人だけをいじめていた。
◆泥棒があったときにおたねさんに頼むと、その犯人の家の前で毎晩コンコン鳴きわめいて、それを教えてくれた。
◆毎年京都の伏見稲荷に参詣をしていた。境港の商人が京都へいったとき三条大橋の上で女性に名前を呼ばれて話しかけられたが誰だかわからなかった。「わたし一足お先に帰ります。境でお目にかかりましょう」と言うと消えてしまったので、「アッ、そうだ……おたねさんだ」と商人は気がついたという。


【 お名前 】:ひょーせん
【 呼称(カナ) 】:ヨナゴジョウノヌシ
【 呼称(漢字) 】:米子城の主
【 地域 】:鳥取県米子
【 著者・執筆者 】:佐藤徳堯
【 資料名 】:『山陰の民話』第1集(山陰日日新聞社)
【 概要 】:
◆米子城の城山の主。巨大な蛇が正体だという。
◆城の中に妖怪が出るという騒ぎが起きたとき、家臣のひとり村河与一右衛門がその正体をつきとめることになった。
◆夜の城を見回ってると、白衣に緋袴の女が火をたいてたので、注意すると「わしはこの城の主じゃ、心配せずとよい」と返答したので「この城の主は殿様だけじゃ」と斬りかかる。
◆与一右衛門の強さに感心した主は「きさまにはほとほと感心した、もうここには出ぬ、これを取らそう」と蛇の鱗2枚を渡しながら言うと、そのまま出なくなった。
◆村河家では代々その鱗を大事にした。


【 お名前 】:闇の中のジェイ
【 呼称(カナ) 】:コッケラバチ
【 地域 】:大分県佐伯市大手区一帯
【 著者・執筆者 】:佐伯市史編さん委員会
【 資料名 】:佐伯市史
【 概要 】:
掲載ページ 912
 旧藩時代の西谷は、西谷小路とよばれて右側、城山の麓に藩士邸が数軒あり、その間を練塀がつなぎ、左側は堤防(土手)で五、六本の巨松が繁茂し、松樹の下にはゲズ(からたち)の生垣があって、昼なお淋しいところであった。西谷の入口は角石で、ここには関門があり、番所があって出入者を取締った。角石の門は暮六ツ(午後六時)に閉したが、これは大門で、小門は四ツ前(午後十時ごろ)まで通行をゆるしていた。
 この西谷の堤防うちには番匠川に沿うてお作事役場があった。お作事役場というのは、藩の建築工事、営繕工事をするところで、場内に何棟もの大工小屋、左官、石工等の溜場、それぞれの設備をした工場があり、毎日のように大工、左官をはじめ夫方の者が数十人仕役していた。堤防下の道路は俗にお作事裏といわれていたが、昼でも人通りが少なく、夜になるとまったく犬の子一匹通らないという淋しさであった。
 いつのころか、お作事裏に化物がでるといううわさが広がった。その化物は白い真綿のような塊りで、ころがってきて通行人にからみつき、足にまとわりついて歩かせず、これを倒したり、気絶させたりするという。誰一人この正体をたしかめた者はなかったが、お作事裏のコッケラバチといって婦人、子供を恐れさせた。ある人はお作事浜の河童だといい、ある人はお作事場の木石の精霊(すだま)だといったが、コッケラバチと名付けているのをみると鉋屑(佐伯地方ではコケラという)の精ぐらいに考えていたのではなかろうか。

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