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「夜雀と夜盲症」について

  • 2012/10/26(金) 01:04:39

こんにちは、今回は夜雀、特に「夜雀と夜盲症」の関係について。

事の始まりはこちらの「夜雀と鳥目(夜盲症)」というツイートまとめを参照下さい。


ふいに浮かび上がった「夜雀と夜盲症についての記述って、何が出処なんだ?」という疑問。

今や現代妖怪界においては有名(?)になった夜雀の重要な要素は、実は出典が不明瞭なままでした。

今回はその捜索の顛末について、ここに記録しようと思います。


まず、「夜雀と夜盲症」についてで、まずわかっていたのは水木しげる先生の記述。
今回参考にするのは『図説 日本妖怪大全』(水木しげる 講談社)。
ここの夜雀の記述は、箇条書きに要約すると、


①和歌山県に伝わる「雀送り」という怪について
②高知県の「夜雀」という怪について(対策としての「となえことば」つき)
③夜雀を捕まえると夜盲症になる
④山口県では家に雀が入ると吉兆である
⑤静岡県では、雀は故人生まれ変わりだとされた
⑥長崎県壱岐では、雀の巣を取ることを戒められていた
⑦藤原実方の亡魂が化した「ニュウナイスズメ」について
⑧中国では、雀は九月に大海に入って大蛤になるとされた


という構成です。
本来の夜雀の民俗学報告では、夜盲症に関する記述はありませんでした。
なので、この③の記述が、恐らく夜雀と夜盲症に関する最初のものだろう、ということは既にわかっていました。

では、水木先生は何を元に③の記述を行ったのか? 何か別の資料を参考にしたのか、はたまた先生の創作か。

ツイッターではこの後、様々な推測がなされたのですが、そこで一冊の本が浮上してきました。
それが、鈴木棠三『日本俗信辞典』です。
これの雀の項目はまだ調べていない。そう聞いた自分が、大学の図書館で調査してきた次第です。



結果として判明したのは、
「水木先生の「夜雀」の文書は、『日本俗信辞典』の「雀」の項目をほぼ完全に参考にしているだろう」
ということでした。
『日本俗信辞典』の「雀」の項目は、上で記した①~⑧の記述を全て網羅し、かつ書き方もほぼ一致したので、水木先生がこの本を参考にしたのは確実と思われます。


では、肝心の「夜雀と夜盲症」についてはどうなっているのか。


<前略>また、スズメをとると夜盲症になる(大分)、スズメの巣をとると火難がある(広島)、ともいう。
特に夜は忌まれ、夕方スズメを殺すと夜盲症になる(愛知)、夜スズメを捕れば夜盲症になる(福島・新潟・長野・愛知・和歌山・広島・山口)、<後略><原文ママ>
『日本俗信辞典』p321より


このように記されていました。
また、同書のp323には、


<前略>高知でも、夜道を行く時にその前後をチッチチッと鳴きながらついてくる夜スズメの怪があり、<後略>


とも記されていました。

これにより、水木先生は
夜に雀を捕まえると夜盲症になる
という俗信を、
夜雀(という妖怪)を捕まえると夜盲症になる
という夜雀の性質と誤読してしまったのだろう、という推測ができます。
『日本俗信辞典』の中で「夜スズメの怪」と紛らわしい紹介をしてしまったのも、誤読の原因と考えられます。


また、推測の中にあった「燕に関する俗信と取り間違えた?」というものを見るために「燕」の項目も調べてみましたが、雀と燕の俗信、特に戒めに関する俗信は似通った物が多いようです。
例:燕をとると目が潰れる、燕の巣をとると火事になる



というわけで、夜雀の重要な構成要素だった「夜盲症にする、鳥目にする」という認識は、俗信の誤読から始まった、という結論をとりあえず出しておきます。
『日本俗信辞典』で紹介されていた俗信の数々は、地域名は記されていたものの参考文献が紹介されていなかったため、個々の確認は中々難しそうです。

これもまた、妖怪の妙ですなあ。

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「ヤナ」について。

  • 2012/10/24(水) 22:40:04

こんにちは。今回は「ヤナ」という妖怪について少し。




「ヤナ」
 埼玉県川越市川越城址でいう怪異。『十方菴遊歴雑記』にあるもの。
 川越城三芳野天神下にある外堀の堀の主は、ヤナという正体不明の怪物であるという。
 川越城が攻められて敵兵がこの堀まで来ると、たちまち霧を吹いて雲を起こし、魔風を吹かせて四方を暗夜のごとくにしてしまう。また、洪水を起こして、敵兵の方向感覚を狂わせてしまうという。
 川越城を築いた太田道灌が、ヤナを利用して城を防衛したのだという。(後略)
 村上健司『妖怪事典』より

概要は上記のとおり。ですが、これの参考文献に肝心の『十方菴遊歴雑記』(以下、遊歴雑記)がなかったので、「原典はどうなのよ?」と思って探ってきた次第です。

今回取り上げたのは、1964年の『江戸叢書(江戸叢書刊行会)』に載っている『遊歴雑記』です。


まず、『遊歴雑記 初編 巻之下』から、「六拾壹 入間郡いさ沼の景望」。

 一武州入間郡古谷上村いさ沼は、足立郡中釘村より西の方壹里半にあり、(中略)
 元来此沼、川越の城の要地の爲にして、北西の上にいたりては與奈(ヨナ)川とて川越の城を取巻水下は村々の用水に引といへども、旱魃にも水曾て滅せずとなん、(後略)

ここでは川越城を取り巻いていた川を「與奈(ヨナ)川」と記しています。その水は川下の村々も利用していましたが、旱魃の時にも枯れることはなかったようです。


次に、『遊歴雑記 初編 巻之下』から、「六拾貳 みよしのヽ里の風色、よな川の由来」。

 (前略)むかし太田道灌翁の縄張し工夫を以て築し第二ばんの城のよし、(中略)
 此城の外を取まく要害をヨナ川といえり、廣さ纔(ワズカ)に六七間に過ずして、左のみ深からずといへども、百萬の逞兵もわたり越がたしとなん、是はむかしより此堀にヨナといふ主住て、敵を寄付ざるが故なり、依てよな川と呼り、それはいかなるものぞと土人にたづぬるに、東南の方の芦の生茂る深き處に住て、只女なりとばかり答え、恐怖してくわしくは物がたらず、是恐らくは大蛇の類なるべし、(後略)

川越城は太田道灌が築いた、と記した後に、城を取り巻く「ヨナ川」について記しています。
ヨナという堀の主が敵を寄せ付けない、このヨナは何者かと地元の人に尋ねたところ、東南の方の、芦の生い茂る深い所に住むもので、女であるとだけ語り、あとは恐れて何も話さなかったとのこと。筆者は恐らく大蛇の類だろうと推測しています。


最後に、『遊歴雑記 三編 巻之下』から、「拾九 川越城内みよしのヽ天神」。

 同處川越城内みよしのヽ天神といふは、太田道灌當城築立の頃よりの勧請となん、(中略)
 此土手下は泥深き外堀にて水面に湛へ、上より見る處堀のはヾ凡七八間、此水下いさ沼につヾきてからめ手の堀にいたりては、粱(ヤナ)とかやいふ怪物往古より主となりして棲處とし、當城危急となり敵兵堀際に迫るときは、須臾に霧を吐雲を起し魔風甚しく、忽然と闇夜となりて近邊満水し、寄手方角に迷ひ途を失ぶて奔走すとなん、是粱といふ怪物のなす處也、(後略)

この記述が現在のヤナの説明に相当するものでしょう。しかし、ヤナの漢字が「粱」であると明記されている所が抜け落ちてしまっているようです。しかし、「粱」は通常「ヤナ」とは読めないので、「梁」の誤字の可能性もあります。
 また、川越城が太田道灌の築城であり、とても工夫が凝らされていたことは記述がありますが、「道灌がヤナを利用して城を防衛した」というような記述は、この三項目からは見つかりませんでした。


以上が今回の記録になります。ほかの資料を確認していないので何とも言えませんが、ヨナ川という名前、女だという記述、「粱」という漢字など、新たな再発見が幾つかありました。


※10月26日追記 ヤナの漢字が正確には「梁」ではなく「粱」と記されていたので、記述を少し変更しました。


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