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牛御前と丑御前について

  • 2016/07/25(月) 19:11:58


 実に久し振りな更新ですが、今回は「牛御前」について。
 知っている人は知っていると思いますが、スマホゲーム『Fate/GrandOrder』に牛御前かもしれないキャラクターが出てきた……という流れから、改めて本格的に牛御前について調べてみよう、という成り行きからの調査報告です。



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にっかり青江と『常山紀談』について

  • 2015/04/13(月) 00:14:58

またも久しぶりの更新となってしまいました。

今回は、某刀剣ゲームで一躍有名になった「にっかり青江」について書きました。



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スソヒキムジナとソデヒキムジナについて

  • 2013/09/11(水) 14:49:17

先日、国立国会図書館にて妖怪資料を漁っていた時に判明したことを少しばかり。

袖引き狢という妖怪が、茨城県つくば市の方面に伝わっています。
ウィキペディアの「袖引き小僧」の項目に、類例として袖引き狢の話が載っています。
最近ですと『妖狐×僕SS』という漫画にも登場したので、ご存知の方は意外と多いのではないかと思います。

しかし、これは実は「袖」引き狢ではなく「裾」引き狢だった、というのが今回の報告です。


まずは、村上健司氏の『妖怪事典』の「袖引き狢」の項目を見てみましょう。


『◎ソデヒキムジナ
 袖引き狢。茨城県筑波郡大穂町(現つくば市)でいう怪異。吉沼前原にある如意輪観音では安産夜明け祭という祭りが早朝から行われ、この祭りに行く途中、よく婦人が狢に裾を引かれたという。裾を引っぱられると夢の中の出来事のように感じられ、山中を引き回される。そのうちに賑やかな太鼓の音が聞こえだし、「帰ろう、帰ろう」とまるで太鼓が自分をよんでいるように聞こえる。ハッと気がつくと、目の前には府中観音大権現と大書された大旗があり、風にバタバタと鳴っていた、などという話が伝わる。これは年を経た雄の狢が、妊婦の発する匂いにつられて発情し、裾を引くのだといわれている。 『大穂町の昔ばなし』佐野春介』(原文ママ)


気になるのは、名前は「袖引き」なのに、やってることは「裾を引く」と記載されている点です。
では、原典とされている『大穂町の昔ばなし』はどうなのか。これを国会図書館で調べてきました。


裾引き狢

 吉沼前原の如意輪観音では、毎年二月十八日未明に、安産夜明け祭りという奇祭が行われる。村のご婦人たちが早朝、未明のころ、お詣りにくる。ここにくる途中昔はよく狢が出て、ご婦人たちの裾を引っぱるのだが、どこかの若い人たちのいたずらかと思っていた。

 ある年お祭りの朝、一人の婦人が赤松山の中の道を通ると、相変らず、あわせの裾を引っぱるものがある。また始めたなと思いながら、どうせ村の若い者のいたずらかと思って気にもとめず、引かれるままに赤松山にだんだん入って行った。ところが山道が自然に切れて篠深いところを、ガサッ、ガサッと踏みわけてどこまでもひっぱってゆく。夢の中のできごとのような気持でふわっとしたまま、引っぱられて行った。やがてきれいな芝原に出て、月の光が飴色に流れ、太鼓の音もきこえてくる。太鼓は盆踊りのような悠長な音で人のざわめく騒ぎも聞かれる。

 こんなはずはなかったと思いなおしても、帰ろう帰ろうと思えば思うほど、太鼓は自分を呼んでいるようで、その方に足が向いてしまう。裾はまるっきりみだれ、ふわふわしたものがからみついてはなれようとしない。これはなにかが私をばかにしている。

 目は血走って観音さまのお祭のことなどすっかり忘れ去っていた。ところが、よく見ると「府中観音大菩薩」と筆太に書かれた大旗が目の前にあるではないか。そののぼり旗が、ばたばたと風に鳴っている。その音にはっと思って自分にかえった、という話がある。

 この観音さまこそ安産の神様で、前夜各家から奉納されたかさね餅を、お詣りした人にくばって、その餅を三十個に切り、毎朝一個ずつ飯に炊きこみ、一ヶ月にわけてこれをいただくと、安産がかなうという。

 日の出前にお祭をするのは、府中(石岡)にあった観音さまだったが、新しく新築するのでそれを払下げ、村中の者が夜を通し持帰ったので、日の出前にお祭するようになったといわれている。裾引き狢は、妊婦の体から発散する匂いに、年老いた雄の狢が、たまたま発情して裾を引くのだということだ。

 昔はこんな話はさほどに珍しいものでもなかった。しかし、こうしたことはたびたびのことであった。この婦人はそれから、二、三日、多忙のさ中に寝こんでしまった。しかし、そのときのことは、どこでどうしたのかさっぱりわからないという。』
(原文ママ、改行の行間開けはブログ主の手による)


原典にはしっかりと「裾引き狢」と書かれています。また「帰ろう帰ろう」云々の話も『妖怪事典』の文章では少し違った形で記載されているのが分かります。
『妖怪事典』は原典ではなく、別の記載からの孫引きだったか、もしくは全く別の資料を参照したのかもしれません。また、「裾」が「袖」に変わったのは、単なる見間違いか、「袖引き小僧」や「袖モギ様」といった別の妖怪や信仰に引っ張られて、いつの間にかすり替わってしまったのかもしれません(かくいう自分も原典を最初に確認した時、先入観のせいか「裾」を「袖」と誤読してしまいました)。


その辺りの経緯は不明ですが、何にせよ、「袖引き狢」は「裾引き狢」だったということが、今回の調査で判明したので、この場で報告いたします。

ちなみに、裾引き狢は「瓶詰妖怪」にも登録しました。袖引き狢の名前では登録していませんので、ご了承ください。

「夜雀と夜盲症」について

  • 2012/10/26(金) 01:04:39

こんにちは、今回は夜雀、特に「夜雀と夜盲症」の関係について。

事の始まりはこちらの「夜雀と鳥目(夜盲症)」というツイートまとめを参照下さい。


ふいに浮かび上がった「夜雀と夜盲症についての記述って、何が出処なんだ?」という疑問。

今や現代妖怪界においては有名(?)になった夜雀の重要な要素は、実は出典が不明瞭なままでした。

今回はその捜索の顛末について、ここに記録しようと思います。


まず、「夜雀と夜盲症」についてで、まずわかっていたのは水木しげる先生の記述。
今回参考にするのは『図説 日本妖怪大全』(水木しげる 講談社)。
ここの夜雀の記述は、箇条書きに要約すると、


①和歌山県に伝わる「雀送り」という怪について
②高知県の「夜雀」という怪について(対策としての「となえことば」つき)
③夜雀を捕まえると夜盲症になる
④山口県では家に雀が入ると吉兆である
⑤静岡県では、雀は故人生まれ変わりだとされた
⑥長崎県壱岐では、雀の巣を取ることを戒められていた
⑦藤原実方の亡魂が化した「ニュウナイスズメ」について
⑧中国では、雀は九月に大海に入って大蛤になるとされた


という構成です。
本来の夜雀の民俗学報告では、夜盲症に関する記述はありませんでした。
なので、この③の記述が、恐らく夜雀と夜盲症に関する最初のものだろう、ということは既にわかっていました。

では、水木先生は何を元に③の記述を行ったのか? 何か別の資料を参考にしたのか、はたまた先生の創作か。

ツイッターではこの後、様々な推測がなされたのですが、そこで一冊の本が浮上してきました。
それが、鈴木棠三『日本俗信辞典』です。
これの雀の項目はまだ調べていない。そう聞いた自分が、大学の図書館で調査してきた次第です。



結果として判明したのは、
「水木先生の「夜雀」の文書は、『日本俗信辞典』の「雀」の項目をほぼ完全に参考にしているだろう」
ということでした。
『日本俗信辞典』の「雀」の項目は、上で記した①~⑧の記述を全て網羅し、かつ書き方もほぼ一致したので、水木先生がこの本を参考にしたのは確実と思われます。


では、肝心の「夜雀と夜盲症」についてはどうなっているのか。


<前略>また、スズメをとると夜盲症になる(大分)、スズメの巣をとると火難がある(広島)、ともいう。
特に夜は忌まれ、夕方スズメを殺すと夜盲症になる(愛知)、夜スズメを捕れば夜盲症になる(福島・新潟・長野・愛知・和歌山・広島・山口)、<後略><原文ママ>
『日本俗信辞典』p321より


このように記されていました。
また、同書のp323には、


<前略>高知でも、夜道を行く時にその前後をチッチチッと鳴きながらついてくる夜スズメの怪があり、<後略>


とも記されていました。

これにより、水木先生は
夜に雀を捕まえると夜盲症になる
という俗信を、
夜雀(という妖怪)を捕まえると夜盲症になる
という夜雀の性質と誤読してしまったのだろう、という推測ができます。
『日本俗信辞典』の中で「夜スズメの怪」と紛らわしい紹介をしてしまったのも、誤読の原因と考えられます。


また、推測の中にあった「燕に関する俗信と取り間違えた?」というものを見るために「燕」の項目も調べてみましたが、雀と燕の俗信、特に戒めに関する俗信は似通った物が多いようです。
例:燕をとると目が潰れる、燕の巣をとると火事になる



というわけで、夜雀の重要な構成要素だった「夜盲症にする、鳥目にする」という認識は、俗信の誤読から始まった、という結論をとりあえず出しておきます。
『日本俗信辞典』で紹介されていた俗信の数々は、地域名は記されていたものの参考文献が紹介されていなかったため、個々の確認は中々難しそうです。

これもまた、妖怪の妙ですなあ。

「ヤナ」について。

  • 2012/10/24(水) 22:40:04

こんにちは。今回は「ヤナ」という妖怪について少し。




「ヤナ」
 埼玉県川越市川越城址でいう怪異。『十方菴遊歴雑記』にあるもの。
 川越城三芳野天神下にある外堀の堀の主は、ヤナという正体不明の怪物であるという。
 川越城が攻められて敵兵がこの堀まで来ると、たちまち霧を吹いて雲を起こし、魔風を吹かせて四方を暗夜のごとくにしてしまう。また、洪水を起こして、敵兵の方向感覚を狂わせてしまうという。
 川越城を築いた太田道灌が、ヤナを利用して城を防衛したのだという。(後略)
 村上健司『妖怪事典』より

概要は上記のとおり。ですが、これの参考文献に肝心の『十方菴遊歴雑記』(以下、遊歴雑記)がなかったので、「原典はどうなのよ?」と思って探ってきた次第です。

今回取り上げたのは、1964年の『江戸叢書(江戸叢書刊行会)』に載っている『遊歴雑記』です。


まず、『遊歴雑記 初編 巻之下』から、「六拾壹 入間郡いさ沼の景望」。

 一武州入間郡古谷上村いさ沼は、足立郡中釘村より西の方壹里半にあり、(中略)
 元来此沼、川越の城の要地の爲にして、北西の上にいたりては與奈(ヨナ)川とて川越の城を取巻水下は村々の用水に引といへども、旱魃にも水曾て滅せずとなん、(後略)

ここでは川越城を取り巻いていた川を「與奈(ヨナ)川」と記しています。その水は川下の村々も利用していましたが、旱魃の時にも枯れることはなかったようです。


次に、『遊歴雑記 初編 巻之下』から、「六拾貳 みよしのヽ里の風色、よな川の由来」。

 (前略)むかし太田道灌翁の縄張し工夫を以て築し第二ばんの城のよし、(中略)
 此城の外を取まく要害をヨナ川といえり、廣さ纔(ワズカ)に六七間に過ずして、左のみ深からずといへども、百萬の逞兵もわたり越がたしとなん、是はむかしより此堀にヨナといふ主住て、敵を寄付ざるが故なり、依てよな川と呼り、それはいかなるものぞと土人にたづぬるに、東南の方の芦の生茂る深き處に住て、只女なりとばかり答え、恐怖してくわしくは物がたらず、是恐らくは大蛇の類なるべし、(後略)

川越城は太田道灌が築いた、と記した後に、城を取り巻く「ヨナ川」について記しています。
ヨナという堀の主が敵を寄せ付けない、このヨナは何者かと地元の人に尋ねたところ、東南の方の、芦の生い茂る深い所に住むもので、女であるとだけ語り、あとは恐れて何も話さなかったとのこと。筆者は恐らく大蛇の類だろうと推測しています。


最後に、『遊歴雑記 三編 巻之下』から、「拾九 川越城内みよしのヽ天神」。

 同處川越城内みよしのヽ天神といふは、太田道灌當城築立の頃よりの勧請となん、(中略)
 此土手下は泥深き外堀にて水面に湛へ、上より見る處堀のはヾ凡七八間、此水下いさ沼につヾきてからめ手の堀にいたりては、粱(ヤナ)とかやいふ怪物往古より主となりして棲處とし、當城危急となり敵兵堀際に迫るときは、須臾に霧を吐雲を起し魔風甚しく、忽然と闇夜となりて近邊満水し、寄手方角に迷ひ途を失ぶて奔走すとなん、是粱といふ怪物のなす處也、(後略)

この記述が現在のヤナの説明に相当するものでしょう。しかし、ヤナの漢字が「粱」であると明記されている所が抜け落ちてしまっているようです。しかし、「粱」は通常「ヤナ」とは読めないので、「梁」の誤字の可能性もあります。
 また、川越城が太田道灌の築城であり、とても工夫が凝らされていたことは記述がありますが、「道灌がヤナを利用して城を防衛した」というような記述は、この三項目からは見つかりませんでした。


以上が今回の記録になります。ほかの資料を確認していないので何とも言えませんが、ヨナ川という名前、女だという記述、「粱」という漢字など、新たな再発見が幾つかありました。


※10月26日追記 ヤナの漢字が正確には「梁」ではなく「粱」と記されていたので、記述を少し変更しました。


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